キリスト教Q&A

宗教改革って(1)

16世紀宗教改革とは・・・
 今年、2017年は宗教改革500年という年にあたります。いったい、宗教改革とはなんだったのでしょう・・・。とにかく、この時代は「熱い」思いの人たちが多かったように思います。さて、まず、ドイツの宗教改革のお話をすると、長くなりますが、かいつまんでお話ししますと、15世紀後半から16世紀初頭のヨーロッパは・・・政治、経済、宗教、外交・・すべてが教会・・ローマ・カトリック教会を中心に動いていた中世の体制がほころびてきて・・・その上、聖職者たちは人々の救いよりも、教会を維持していくことや、自分自身のため、私利私欲など、・・・本来あるべき教会のリーダの姿ではなくなってきて、・・・限界に達してきていた・・と言えると思います。そういう時に、ドイツのマルティン・ルターが1517年10月31日、ヴィッテンベルク城教会に「95ヶ条の提題」を掲げて、教会を正そうとしました・・そして免罪符論争がはじまり・・これがきっかけで・・やがて、教会改革や学校改革、また国家独立、宗教戦争と・・ヨーロッパ中が疾風怒濤の時代に突入していくことになります。
 さて、ご存じだと思いますが、当時、聖職者や修道士・・つまり、神様に仕える職業の人は結婚はできませんでした。これは、現在のカトリック教会でも結婚はできません。さて、ルターは、1520年の論文『ドイツ国民キリスト者貴族に与える書』において、聖職者の結婚は許されるべきであると述べています。プロテスタントは教会改革だけでなく、結婚改革も行ったのです。ちなみに、今現在も、カトリックでは聖職者の結婚を認めていません。このルターは、1521年の春、ヴォルムスの勅令によって、教会(ローマ・カトリック教会のことですが)と神聖ローマ帝国(ドイツは当時、神聖ローマ帝国の中に所属していて、もちろん、帝国はカトリック教会を支持していました。)により、破門を宣告されました。つまり、修道士であり、大学教授であり、説教者であった・・その人が破門されてしまったのです。おかしなことですが・・。カトリック教会から見れば、異端ということになったのです。この続きはまた。